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セルジュ・ゲンズブール / Serge Gainsbourg

1928年4月2日、フランス パリで生まれた歌手兼俳優、「セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)」。本名、リュシヤン・ギンスブルグ。多大な影響力と圧倒的なカリスマ性で1960年代から1970年代にかけてのミュージックシーンを支えた1人。 ピアニスト兼芸術家の父、ジョゼフ・ギンズバーグと母、オイラ・ギンズバーグとの間に双子の妹、リリアンヌと共に生まれたゲンズブール。ピアノ教師でもあった父親の影響でバッハやショパンなどクラシック音楽に親しみながら育った。19歳の頃から小遣い稼ぎではじめたギターで生計を立てはじめ、作曲を開始。1954年にはパリのセーヌ右岸にあるキャバレー「ミロール・ラルスイユ」にピアニスト兼歌手として出入りしはじめる。そこで出演していたゲンズブールを観たプロデューサー、ドゥニ・ブルジョワに認められ、1958年に『Le Poinçonneur des Lilas(原題)』で歌手デビューを果たした。歌手として若者を中心に人気を集めていたゲンズブールが手がけた楽曲を歌手兼俳優のジュリエット・グレコが歌ったことで作曲家としての知名度も上昇。1959年、セカンドアルバム『No2(原題)』をリリース。1965年にはギンズバーグが手がけた楽曲『Poupée de cire, poupée de son(原題)』がユーロビジョン・ソング・コンテストのグランプリを獲得。1960年代の音楽シーンを担う存在となった。 俳優としては1958年に公開された映画『Le Poinçonneur des Lilas(原題)』でスクリーンデビューを果たす。1968年に公開された映画『Slogan(原題)』をはじめ、1970年の『Cannabis(原題)』、1973年の『Trop jolies pour être honnêtes(原題)』、1976年の『Je t'aime... moi non plus(原題)』など数多くの作品に出演を果たしている。 プライベートでは数々の美女と浮き名を流してきたが、1951年にエリザベット・レヴィツキーと結婚。しかしミュージシャンとして多忙な日々を送っていたゲンズブールは1957年に離婚。1964年にロシア貴族の娘だったベアトリスと結婚するも、1967年には離婚にいたっている。同年、女優ブリジット・バルドーと不倫関係を持つ。翌年、映画での共演をきっかけにジェーン・バーキンと交際をスタート。バーキンの希望で2人は法的に結婚しているわけではないが、1971年にシャルロット・ゲンズブールをもうけている。その後も順調な交際を続けるが、1980年に破局を迎えた。1991年3月2日に他界した。